当社の御朱印は、月毎に花の添え印が変わる①『季節を感じる御朱印』を始めとして、現行の祝日に含まれる旧祭日のみ授与の②『国旗押印・金文字御朱印』、二十四節気の各節気入り日から3日間(一部例外有り)のみ授与の③『二十四節気御朱印』がございますが、令和3年4月に始まりました『二十四節気御朱印』シリーズ最後の「春分」(令和4年3月後半)以来となる新御朱印『草薙剣御朱印』が新たに加わります。

発端は、当社の「不動明王像」にございます。神社に仏教の信仰対象である不動明王像が在ること自体不思議なことですが、旧社務所にも永らく安置されていたもので、当社に祀られることになった経緯は不明でございます。推測となってしまいますが神仏習合の名残もしくは何かしらの理由で行き場の無くなってしまった同像を憐れみ当社にお祀りしたものと思われます。前述の通り旧社務所時代からお祀りしていた同像でございますが、旧社務所は神社役員といった極限られた方々しか入る機会が無かったため、同像も広く人目に付く存在ではございませんでしたが、社務所改築に当たり多くの皆様にご覧になられ拝んでいただければ不動明王様もお慶びになられるのではと、玄関から入って直ぐの誰の目にも付く場所に安置しお祀りさせていただいた次第です。年始より新社務所が本格的に稼働し、御朱印やご祈祷の待合として社務所に入られ、同像をご覧になられた参拝者の方々から「不動明王の御朱印は無いのでしょうか?」というお問い合わせが多く寄せられたことが新御朱印追加の背景となります。

但し、仏教の信仰対象である不動明王を神社の御朱印とするのは些か節操に欠けるものと思われましたので、意匠は不動明王をモチーフにしながらも神社、特に氷川神社と関係があるものとしました。先ず不動明王の右手に持たれる剣を、当社の主祭神であるスサノオノミコトが八岐大蛇(ヤマタノオロチ)を退治した際に出現した「天叢雲剣(アメノムラクモノツルギ)」に、そして背に背負われる火炎光背を燃え盛る炎としました。新御朱印の名称『草薙剣』について簡単にご説明させていただきますと、天叢雲剣はスサノオノミコトよりアマテラスオオミカミに献上された後、天孫降臨に当たりニニギノミコトに与えられ、歴代天皇と共に永く宮中にて奉斎されておりましたが、第十代崇神天皇の御代にその神威を畏れ模造(形代が作られた)され、真物は伊勢神宮に祀られるようになり、第十二代景行天皇の御代にヤマトヒメノミコトより東征に向かうヤマトタケルノミコトに託されました。あるときヤマトタケルノミコトが敵の放った野火に囲まれ窮地に陥った際に、天叢雲剣で草を刈り払い、向い火を点けて脱出したと古事記および古語拾遺には記される他、日本書紀の注には天叢雲剣が自ら抜け出して草を薙ぎ払ったことにより難を逃れたことから、『草薙剣(クサナギノツルギ)』と名付けられたとされています。草薙剣はその後、ヤマトタケルノミコトの妻であるミヤズヒメにより尾張の地に祀られ熱田神宮となり、模造は三種の神器として現在も皇位のしるしとして歴代天皇陛下に継承されています。※書物により表記が異なる神名及び人物名は混同を避けるため、カタカナにて表記しております

上記の神話になぞらえ、下部には燃え盛る炎を、上部には天叢雲剣が炎を薙ぎ払う様子を配置し、多色()の重ね押しによって炎の色に変化を付けております。

『草薙剣御朱印』の授与日でございますが、不動明王の縁日が28日であることから、毎月28日のみの限定とし、初回は2月28日(水)とさせていただきます。『草薙剣御朱印』をお受けになられる際はどうぞ不動明王像をご覧になられお手を合わせていただければ幸甚です。

※お書入れする書体は、他の御朱印同様に書き手の神職により異なりますので予めご了承願います

 

印のみを押印したもの

社名の揮毫を加えたもの