十二支は本来、順序を表す数詞であり、年・月・時刻・方位の表現に用いられ、時代の移り変わりと共に漢字の意味や陰陽五行説の発展により、それぞれの文字が陰陽の盛衰を表し、植物の生育状態を表すと云われるようになりました。

午の文字に「忄(りっしんべん)」を付けた「忤」、また「イ(にんべん)」を付けた「仵 」は共に「ゴ」と読み、①背く、②逆らう、③悖る、といった意味を持つ字なのですが、これは実は午の文字そのものが逆らうという意味を持つことに起因しています。「午」という字は、そもそもは「人」の下に「十」と書き、陰気が陽気に逆らい地を冒して出ることを表す象形文字であることに由来することから、植物の生長が極限を過ぎ、衰微の兆しを見せ始めたことを意味します。

生長の極限である昨年の巳年はキレイな花を咲かせると共に、開花は次の世代へ命を繋ぐ(新しい種子を作り始める)段階の始まりであることから、午年はその後の受粉の時期に当たると言えます。実をつけるために必要な受粉という行為は、植物自身の力だけでは為し得ず、風や虫が媒介することによって行われます。植物は色鮮やかな花、或いは特有の香りで虫を誘い受粉を手助けしてもらうのに対し、虫は花の蜜に含まれる糖分や花粉に含まれるタンパク質を栄養源としており、そこには見事な互恵関係が構築されています。

このことを私達の実生活に当てはめるならば、次の子年に播く新しい種は現状維持の同じ種ではなく、自分自身を更に高める種でなければなりません。種とはつまり夢や目標となる訳ですが、前述の通り受粉に当たって植物だけでは成り立たないのと同様に、人間も一人では何も出来ません。午年はその目標を見つけるに当たり、自分に足りないものを補完してくれる、自分を応援手助けしてくれる良き理解者、良き協力者を探し求めると共に、自分だけに利があってはいけませんのでその相手が自分に求めているものは何か、また夢や目標を実現させるためには活路を見出さなくてはならないことから、世の中や社会に不足しているもの(ニーズ)も合せて探し求める年になると言えるでしょう。

結びに午に「言(ごんべん)」を付けると「許」となり、「許」には、①信じる、②期待する、という意味も併せ持っています。是非とも皆様には今年の「午」の文字に「忄」や「イ」を付ける人の信義に悖る、人の信頼を失うような夢や目標でなく、「言」を付けていただき周囲から信用される、期待される目標を見つけられますこと、またその夢や目標の実現に向けて心から信頼できる良き理解者、協力者を探し求められますことをお祈り申し上げます。

最後に余談ではありますが、「午」に「馬」が当てられたのは、「午」の文字の形を見ると「牛」の角(上に突き出た部分)が無い物が「午」であり、古くから農時に携わる家畜であった牛と馬を比較し、「午」に「馬」を当てたものだと思われます。

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