当社が鎭座する元郷は、川口市の南端に位置する南平地域に属します。

「南平」とは南平柳の略なのですが、では「平柳」とは一体何を意味

するのでしょうか?

当社ホームページのトップページに簡単な由緒が記載されておりますが、

その一部を抜粋しますと、

「元郷氷川神社は室町後期に当地を治めていた岩槻方の武将、平柳蔵人が…」

とあります。

ここから、「平柳」とは室町期に当地を治めていた武将の姓が由来であることが

お解り頂けると思います。そして平柳蔵人とは当社を創建した人物であります。

「蔵人(くらんど)」とは名ではなく、官職を表す言葉であり、上杉憲当(憲政とも)

書状に見える平柳蔵人佑を指すものと思われ、当主の高綱のことだと考えられます。

高綱は永禄7年(1564)、岩槻城主太田氏と下総國の里見氏が連合して北条氏と戦った

「鴻之台(現:千葉県市川市国府台)の合戦」に岩槻方の武将として参戦し討死を遂げたと

伝えられています。

平柳氏の領地は「平柳領十五ヶ村」といわれ、高綱は仁慈英遇であったと伝えられています。

その②につづく

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平柳蔵人館跡(川口市指定文化財)

川口市元郷4-12-16(南平公民館元郷分館敷地内)